2016.06.16 Thursday
人生観がガラっと変わることもある。
来年は日本に7月頃来よう。
そうしよう♪
もう1か月くらいいるのに
全然夏感がないよー!!←夏好き女
私、基本的に袖がない服やショートパンツをよく履いてるので、
本当こんな涼しいならもっと合わせた服選んで持ってきたのに!!
ミャンマー出た時が40度超えだったから麻痺してチョイスミスです。
そもそも3、4枚ぐらいしか持ってきてません。
日本のお姉ちゃんの家に前から持っていたイイ服(高い服)を置いてもらってるので、
毎回それ着たり、リサイクルショップで買ったりします。
えって思った方、
あのですね、その辺のファストファッションで縫製が雑なワンシーズン服なんかを買うなら、
古着でもしっかりしてる服の方が長持ちしますし、安いし、私はそれで充分満足なんです。
なんなの今日の切り口は戸惑う〜
って思っている方!
実は私、日本にいる頃は原宿や恵比寿や伊勢丹などでブランド服のショップ店員をしていたんですよ。
毎日かわいー服を着てメイクや髪形も雑誌に載るような感じで、毎日ヒールの高い靴履いて、
いらっしゃいませぇ
してたんです。
あの頃はまだ服が売れる時代でアパレル業界もまあまあ景気が良かったんですが、
後半はファストファッションが流行りだして、デパートや原宿にフラグショップを持つようなまぁまぁのブランド服は、
黙ってちゃ売れない時代へと変わっていったのでした。
そうなると直にお客様に服を売るショップ店員には会社から見えない圧力が・・・。
服を売ってくれ!!頼む!
みなさん、知っていますか?
デパートや駅ビルにあるようなブランドの店員さんは、みんな個人売り上げ(自分が接客したお客様が服を買うとこれが金額として個人売り上げ表として出て、自分がこの会社のためにどれだけ売り上げたのかを確認出来る)で誰かより売っている。もしくはやばい!今月は目標に届きそうにない!などと常に売り上げ目標に追われていることを・・・。
職場によっては個人売り上げ競争が激化し、スタッフ同士で派閥があったり、
毎日休憩後、店長に「自分は今何着売りました。」もしくは「まだ0です。。」なんて報告しなければならないという、
10円玉ハゲで頭ドットになっちゃうくらいのプレッシャーの中仕事をしてるうちに
あの、 東北地方太平洋沖地震 が起こったのです。
その時伊SE丹で働いていた私は、4階のフロアでしたが物が上からばんばん落ち、立っていられないほどの揺れで、
ついに関東大震災が来たと思ったほどでした。
小田急線が運行開始になる深夜までデパート内で待機していた私は、
携帯が繋がることもなく、深夜に家について初めて東北で何が起こったのかテレビを見て愕然としました。
目で見てる映像が現実だと頭が理解しないのです。
かなり動揺したまま朝を迎え、職場に向かいました。
震災津波発生翌日のこの日、
新宿の駅ビル、その他百貨店全て閉店を決断した中、伊SE丹だけが通常営業すると決めたからです。
正直私はまだ動揺してとても働く気がおきないし、ましてやニコニコして高い服を売る気になんか到底なれませんでした。
他のスタッフも一様に戸惑いながらオープン準備をしていたのを覚えています。
日本中がパニックなこんな日に、娯楽のオシャレの為に!?割れたガラスが道に落ちていたり、傾いた柱や木がある危ない新宿にわざわざ来るお客さんなんていないでしょ。
と思っていました。
ところがいたんです。
まじで、
買い物に来るお客さんが。こんな日に!!
どうかしてるぜ!!!!
で、
この日から3連勤した私は、なんかいろんな思いが交差して、挙句
どーでもよくなっちゃんたですよ‼
もっとこうなんかエキサイティングになれる仕事はないものかと思っちゃんですよ!!
それまでは私の天職かも!なんて思っていたこの仕事が
この出来事で
どーでもよくなっちゃんですよ‼
てことがね
言いたかったんです!
きっかけは様々ですが、
これがなければ私は今も日本にいて服に囲まれて仕事していたことでしょう。
補足★
震災当日、ソウさんはたまたま仕事を休んでいて家にいたんですが、揺れの大きさに驚きワタワタした後外に出ると、人が沢山歩いていたので付いていったそうです。
しばらくして歩いてる一人に聞いたとサ、
あの、これはどこに向かって歩いてるんですか??
するとその方、
家、、ですけど。
…
みんな交通機関ストップで徒歩で家路に向かっているところでした。
やっと理解したソウさん、
あ、そうなんだぁ、僕の家あっちだから、じゃあ戻るね。
って言って引き返したそう。w
ソウさんにとっては初地震で相当びっくりしたと思うのですが、
その後公衆電話の大行列に40分も並び、一人暮らしをしていた母の家に電話をかけ、安否を確認してくれた後、
そのまま自転車でまあまあの距離がある私の母の家に行ってくれていたんです。
がーさす!!
携帯が通じず古いマンションの1階に住んでて鉄の扉みたいに思い玄関ドアを思い出すと息が詰まるほど心配していたので、
あの時は本当にソウさんと結婚して良かったと思いました。
以上、
人生何がきっかけでこうなるかはわからない☆彡←
でした。
最後までブログを読んで頂いてありがとうございます。
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